ポルトガル人な私は2007年2月のマカッサル大海戦(オランダ・ブリテン対フランス・イスパニア)は参加することができません。ただ、生来のおせっかいな性分からか、物資支援と偵察支援ができないものかとマカッサルに出向きました。


 最初は不安だった。何すればいいのかよくわからなかったし。特に、大海戦開催週のポルトガル議会でフランス側が支援のとりまとめをしていると聞いたので、後日イスパニアの有名軍人さんに定期船で会ったので尋ねた所「そういう話はあったけど、今はわからなくなった」とのこと。どうも、情報が間違っていたのではないのだけどね。イングランドの票(オランダ76%、静観20%)に現れているように、みんなやる気ないんねw


 では、これから当日のことについて。初日は西仏連合の数が圧倒。私がDOLに来た最初の大海戦、サンジョルジョの戦いでは終始、英蘭連合に数で押されていたことを想起すると、これはエライことだなと思った。みんなやる気ないんねw


 で、教祖ブログの記事にあるように、特定の艦隊と戦いすぎると戦功がもらえなくリミットにひっかかる艦隊続出となった。おもしろかったのは、敵味方がそのことに気づくとsayで「砲撃やめー」と言ってやめていることだった。戦争してるのに。だって、人間だもの(みつお


 戦場は小型から中型までジャカルタ前、スラバヤ北にある島がちょうどスラバヤの青ゾーンにひっかかるので、北の小島の両端において中型から大型まで延々と激戦、そしてそのすぐ北のバンゼルマシン前でも激戦。多分、同じ場所で戦っていたら相手が固定されてくるので、リミットにひっかかったら移動していたのだろうか?丁度よく、戦場が近いのは偶然ではないかもしれない。戦域となったパンダ海がルンしか港がないという異常事態でかつ、南が島も上陸地点もなにもないただ海が広がっていて戦場として役に立たないことを考えると、港前、特にスラバヤとバンゼルマシン間が一番狭いのでここにみんな集まってくるのはしょうがなかった。尚、ジャカルタ前も同様。みんなNPC倒して有利な戦況をというよりは艦隊戦を楽しんでいたようだった。伝え聞くDOL初期の純粋な海戦に否応なく押し込まれたような感じだった。みんな艦隊戦好きなのね。


 多分、2日目は英蘭連合は青ゾーンを徹底してくるだろうとの情報があった。そしてヴェネツィアがアジアとは真反対のリオデジャネイロで策動する動きありとの報も・・(いや既に動いていたか)

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

最新のコメント

この日記について

日記内を検索