3種の中では一番あげやすい交易ではありますが、DOLに参加して半年以上経ってようやく、目指していた指標である52に到達しました。これまで多くの方々のご支援によって、時にinしない日々もございましたが、励まされ、続けることができました。特にジェノヴァスクールで適当に戦っていた私をスカウトしてくださった商会の皆様、ポルトガル商人茶室の皆様との会話とご支援には感謝いたします。ありがとうございました。



 今、しげしげとフレリストを見渡しますと、商会の皆様、ポル商人の皆様の他に、なぜかデブが3分の1を超え半分に迫る勢いなのはとりあえずとして、私より後で始められたのに私に迫る勢いの方も多く見受けられます。いかに私がさぼっていたかの証左ですかねぇ。



 それとこのブログですが、「文字ばかりでみにくい」という指摘を数多くいただいています。私もjpgなら載せられると聞いたのですが、うまくいかないので、これからググってDNに写真をアップする方法をちゃんと学んできます・・・。



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↓つまらんので、適当にスルーで。
<追記:ユーザーイベントの意義>

 ややもするとレベル上げは単調になってしまうし、同じ船にずっと乗ってるといつもと同じ交易路も段々と定型化されていく、そんな心象に陥ることがあります。多分、それは繰り返していくうちに単純作業に陥って新鮮味が失われるというだけでなくて、ゲームにおいてもリアル同様、わかりきった物事に直面してしまうと偶然、偶発性といったものが段々と失われ、欠けていくからではないか、と考えたこともあります。それを補うのは何か。オンゲーにおいてバージョンアップやイベントの発生が、ある種の刺激として機能します。ただ、その刺激の意味が単純明快ながらもその表現が人を侮辱しているように聞こえるが故に、あまり好きではありません。それと別の理由も。



 ユーザーイベントもまた刺激作用と同じか?と問うと「多分、そうではない」と言い返したい。刺激とは、繰り返す内に耐性がついていってしまうことも含んでいるからである。むしろ、ユーザーイベントは常にまだ見ぬ他者との交わりを発見に価値があるのであって、イベントから得られる体験というのは一過性でありながらも、いずれ耐性がついてしまう刺激と同じものではない。なぜなら人は社会的な動物であり、-社会的というより、他人との交わりがどこかでないことには-、他者の介在への興味関心が保たれれば、そのゲームなり、集団なりに自分が関わろうとする基本的な動機付けとなりうる。



 私がユーザーイベントに運営ボランティアでかかわりを持とうとしたのも、新たな他者とのつながりがたくさんありそうだから、だと考えてきた。もちろん、ユーザーイベントがマンネリ化して「誰それに指示されたからきただけ」となれば、おもしろくなくなる。そんなイベントならやらないほうがいい。 

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